令和6年7月 今月のことば

今年ニュースレターで何度か書いているように

元日の16時10分、能登半島地震が発生した。

発生より既に、半年以上が経過した。

「被災地支援に一日でも早く駆け付けたい」

と思っていたことも、書いていたと思う。

阪神・淡路大震災や東日本大震災などの時も、

微力ながらボランティア活動に参加してきた。

そして、5年前の2019年10月13日

台風19号が接近し、千曲川が決壊した豪雨災害。

この災害では多くの方々が長野にボランティアに駆け付けて下さった。

天理教の教友たちも毎日毎日大勢の方が、手弁当で

しかも、遠方からひのきしんに足を運んでくれた。

その時味わった感動、感激、感謝の気持ちは、決して忘れられない。

そして、今回の能登半島地震。

毎日報道される現地の情報を見聞きする度に

「早く駆け付けたい。たすけたい。」と思っていた。

しかしながら、現地の様子を聞くと

かえって迷惑をかけてしまうのではないか

との思いから、行動に移すことが出来ないでいた。

今回、長野県内の仲間たちが計画を立ててくれたので私も参加することにした。

ボランティア(ひのきしん)活動に参加できたことは

とてもありがたいと思っている。ただただ感謝である。

6月21日(金)私を含め合計7名、車両2台で一路

石川県珠洲市にある「珠洲ひのきしんセンター」に向かった。天気は晴れ。

ご存じのように珠洲市は、石川県の北東部、能登半島の先端に位置する市。

富山湾が目の前に広がっている。

このひのきしんセンターは、珠洲市からの委嘱を受けて

ボランティア活動拠点として開設している。

ひのきしんセンター事務局である「天理教寶立(ほうりつ)分教会」に18時過ぎに到着。

受付を済ませ、珠洲市立飯田小学校の校庭に設営している自衛隊風呂に入れて頂いた。

今回案内された宿舎は、信者宅。

大きなお宅で、部屋数もたくさんあり、一軒丸ごと提供してくださっている。

更に驚くことは、このお宅だけは水も使え、トイレもお風呂も使える。

※この地域では、ほとんどが復旧していない。

22日(土)8時宿舎を出発。

今度は、ひのきしん現場の指示をしてくださっている拠点教会の

「天理教北乃洲(きたのしゅう)分教会」に参拝。

ひのきしん現場は、教会のすぐ近くの味噌業者の倉庫片付け。

身長より高い直径180㎝くらいの大きな味噌樽3つの解体が始まった。

この倉庫は2階建てで、地震で柱が外れている箇所もあった。

1階の片付け整理が終わり、2階にある家財道具一切を処分。

4トンダンプに、2階から直接投げ入れた。

何回も「飯田港災害ごみ仮置き場」を往復、運搬した。丸一日かかりすべてが完了。

その後「あみだ湯」という温泉で汗を流し、宿舎に帰った。

この施設は、被災したが復興に手を挙げた人が、届けられる被災した建物の廃材を

チェンソーで薪にしながら運営している。この日も、建物の横で作業していた。

被災地でひのきしんが出来たことは、この上ない喜びである。

忘れられない人生の一頁となった。3日間教友たちと共に過ごせたこと

また、現地で活躍している教友、駆け付けた教友たち出会えたこと。

この日は、50名を超える仲間が集まっていた。

更にその中で、懐かしい友と再会できたこと。

タイムスリップしたように感じた瞬間もあった。

言葉にできない驚きと喜びの連続だった。それも、ただただ感謝である。

3日目の朝宿舎を出発し長野へ向かう。

雨の降る中、被害の大きかった地域(内浦街道)を通った。

ニュースで見た映像そのものが目の前にあった。

殆ど手つかずの倒壊家屋が並んでいる。

復興にはこの先どのくらいかかるのだろうか。

現実が私の胸に突き刺さった。

私にとっては、良い経験であっても、被災地の方々にとっては、過酷な現実である。

必ず再び、ひのきしんに駆け付けたい。

教祖140年祭の活動の真っ只中、自分に出来る事、真実を尽くす事を

ひたすらに進めながら、一日も早い復興を祈り続けたい。

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