令和8年1月 今月のことば

いよいよ教祖140年祭が執行される。

われわれお道(天理教)を信仰するお互いにとって、

年祭の時旬は、大きく成人できるチャンスであり

大節だと思う。親神様、教祖から一人一人に対して

何かしらの思し召しがある時だと思っている。

真柱様よりご発布頂いた諭達第4号の最後に

「この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、

教祖の年祭を成人の節目として、世界たすけの歩みを

一手一つに力強く推し進め、御存命でお働き下さる

教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。」とある。

さて、年が明けての1月4日に真柱様より年頭のご挨拶があった。(以下引用)

「年祭の年の正月には、明治二十年の今頃は

どうであったかと考えてみるのであります。」

と、現身をお隠しになられる年の明治20年のことを振り返られ、

「陰暦で考えると、一月四日は、教祖がお姿を隠される

二十二日前であります。稿本教祖伝に、

『一月十八日(陰暦十二月二十五日)夜から始まった

かぐらてをどりは二月十七日(陰暦正月二十五日)夜まで続けられ、

人々は寒中も物かは、連日水行して、真心込めて御平癒を祈った。』

と記されてあるように、毎夜真剣におつとめがつとめられていた最中であります。

また、陽暦で考えると、教祖が風呂場でふとよろめかれた元日から三日後、

急にお身上が迫ってきたので飯降伊蔵さまを通して伺ったところ、

次のようなお言葉があったのであります。

『さあ/\もう十分詰み切った。これまで何よの事も聞かせ置いたが、

すっきり分からん。何程言うても分かる者は無い。これが残念。

疑うて暮らし居るがよく思案せよ。さあ神が言う事嘘なら、

四十九年前より今までこの道続きはせまい。今までに言うた事見えてある。

これで思やんせよ。さあ、もうこのまま退いて了(しま)うか、

納まって了うか。』たいへん厳しいお言葉であります。

このあと二月十八日、陰暦正月二十六日まで続く

教祖の現身をもっての最後のお仕込みの始まりの日であります。

皆さん方はよく知っておられることですが、そのようなことを考えていると、

同じ正月でも普段ののんびりした正月とは違う、

少しは引き締まったような気持ちになるのであります。」

以上の様にお話し下さった。

(以下教祖伝引用)

「教祖のお身上がいよいよ迫って来たので、一同全く心定まり、

真之亮から、おつとめの時、若し警察よりいかなる干渉あっても、

命捨ててもという心の者のみ、おつとめせよ。と、言い渡した。

一同意を決し、下着を重ね足袋を重ねて、拘引を覚悟の上、

午後一時頃から鳴物も入れて堂堂とつとめに取り掛った。

つとめは午後一時頃から始まったが、とうとう巡査は一人も来なかった。」

「陽気な鳴物の音を満足気に聞いて居られた教祖は、丁度、

『だいくのにんもそろひきた』という十二下りの

最後のお歌の了(おわ)る頃、一寸変ったそぶりをなさったので、

お側に居たひさが、お水ですか。と、伺うた処、微(かす)かに、

『ウ-ン』と、仰せられた。そこで水を差上げた処、三口召し上った。

つゞいて、『おばあ様』と、お呼び申したが、もう何ともお返事がない。

つとめを無事了(お)えて、かんろだいの所から、

意気揚々と引き揚げて来た一同は、これを聞いて、

たゞ一声、『ワ-ッ』と悲壮な声を上げて泣いただけで、

あとはシ-ンとなって了って、しわぶき(※せき、せきばらい)一つする者も

無かった。教祖は、午後二時頃つとめの了(おわ)ると共に、

眠るが如く現身(うつしみ)をおかくしになった。時に、御年九十歳。」

「子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、

今からたすけするのやで。しっかり見て居よ。

今までとこれから先としっかり見て居よ。」

※教祖は、115歳定命とおっしゃっていた。

教祖は、いついつまでも存命のまま、元のやしき(おぢば、天理教教会本部)に留まり、

私たちを導き、お育て下さっている。※「存命の理」と教えられている。

教祖が教え下さった「おつとめ」を、教会で共々に真剣に勤めること。

それが、諭達にある「教祖の道具衆としての自覚を高め」ることにつながるのである。

おつとめは、「世界一列たすけたい」との親神様の思し召しを叶える為のものなのだ。

そして、普段からご存命の教祖に思いを巡らせ、日々を振り返り反省を重ねながら、

毎日毎日を教祖の思し召しに少しでも力添えができるよう努めることが、

成人の歩みを進める事につながるのである。この年祭の節目にお誓い申し上げたい。

今年1年は年祭の年だ。1回でも2回でもおぢばに帰らせて頂き、お待ちくださるご存命の教祖にお喜び頂きたい。


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