令和8年2月 今月のことば

教祖140年祭真柱様あいさつ【要旨】

※天理時報2月4日号のそのままを掲載させて頂きます。


年祭を節目に心の向きを揃えてこれからも勇んで歩み続けよう

教祖の年祭は、教祖がお姿をかくされたという事情があって勤められるようになった。

稿本教祖伝第十章は、明治20年1月1日、教祖が風呂場からお出ましのとき、

ふとよろめかれた、という記述から始まっている。1月4日には、

急にお身上が迫ってきたので、飯降伊蔵様を通して「おさしづ」を伺ったところ、

「さあ/\もう十分詰み切った。これまで何よの事も聞かせ置いたが、

すっきり分からん。何程言うても分かる者は無い。これが残念」云々(うんぬん)、

とのお言葉があり、このとき、教祖は息をせられなくなり、お身上が急に冷せたくなった、

とある。一同は驚いて、急き込まれているおつとめを手控えていたことへのお詫びの

おつとめを勤めたのである。

その後も、教祖のお身上が切迫すると談じ合いを重ね、おつとめを勤めるということ

について、初代真柱様の判断を仰いだのである。初代真柱様は即答されず、

いろいろと考え抜かれたであろうと思うが、そのうえで1月13日、

教祖の枕辺に進んでお伺い申し上げた。問答の中で、教祖は「分からんであるまい」と、

これまで説いてきたところを実行するように促された。そして、初代真柱様が、

教祖の仰せと法律を守ることと両方が同時に行える道を教えていただきたい、

というようなことをお願いしたとき、教祖は「月日がありてこの世界あり、

世界ありてそれ/\あり、それ/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、

律ありても心定めが第一やで」。そもそも、月日親神がこの世人間を造った。

その人間が定めたのが法律である。法律があるからつとめはできないと言うが、

元なる親神様の心に沿いきる心を定めることが第一であると、陽気ぐらしへ

進んでいくところの心の持ち方、法律に先立つ心定めをお諭しくだされた。

これは、ただそのとき居合わせた人々に対するお諭しであるばかりでなく、

現在の私たちも心しなければならない、信仰の要である。


深い親心をあらためて思案し心の成人をもってお応えする

1月18日からは、教祖のお身上平癒(へいゆ)を願って、連夜、

お願いづとめが勤められる。そして2月17日夜、教祖のお身上よろしからず、

18日(陰暦1月26日)、いよいよお身上が迫ってきたので、ついに意を決して、

白昼堂々とおつとめを勤めたのである。警官はやって来ず、おつとめは無事勤め終わった。

これで教祖はきっとお元気になってくださると、意気揚々と引き揚げて来た人々は、

教祖が御身をおかくしあそばされたことを知り、荘然自失(ぼうぜんじしつ)し、

悲嘆に暮れたが、気を取り直して「おさしづ」を伺うと、「さあ/\、ろっくの地にする。

皆々揃うたか/\。よう聞き分け。これまでに言うた事、実の箱へ入れて置いたが、

神が扉開いて出たから、子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、

今からたすけするのやで。しっかり見て居よ。今までとこれから先としっかり見て居よ」

云々、とのお言葉があった。

昨年、秋の大祭のときにも話したことだが、二代真柱様は「始めた理と治まりた理と、

理はーつである」(明治29年2月29日)との「おさしづ」を引いて、

陽気ぐらしの道をお教えくだされたのも、人々の成人を促して身をかくされたのも、

その理は子供可愛いというをやの心一つからのことなのだと、何度もお話しくだされた。

教祖は、可愛い子供をたすけて陽気ぐらしへと導いてやりたいとの親心から、

だめの教えをお啓きくだされ、以来50年にわたってたすけ一条の道の次第を整えられ、

自ら歩んでひながたの道をお残しくだされたうえで、「今からたすけするのやで」と、

なおもたすけを急ぐと、定命を縮めて現身をかくされ、以後、末代にわたって

存命の理をもってお導きくださるのである。この教祖の深い親心をあらためて思案し、

心の成人をもってお応えすることが、教祖年祭を勤める意義である。


一つの区切りがついた今日は新たな歩み出しの日でもある

このたびの年祭も、成人の歩みを一層進めていきたいと思い、ひながたを目標に全教が

仕切って一手一つにたすけ一条の活動に取り組もうと「諭達」で呼びかけた。

それについては、三年千日の間、年祭活動のうえに励んでくださり、

大変ご苦労さまでした。ありがとうございました。お礼を申し上げたい。

一生懸命つとめた人であるほど、今日の日を勇んだ心で迎えることが

できたのではないかと思う。

今日をもって一つの区切りがついたが、陽気ぐらしの世界への道のりは、まだまだ遠い。

この長い道のりの道しるべとして、10年ごとに年祭という一つの節目を設け、

全教があらためて目指すべきところを確認し、心の向きを揃えて、心のふしん、

また形のふしんを進めて、道は今日の姿に至ったのである。

年祭に向かっての、いわば非常時の歩みは終わった。

これからは普段の歩みになっていくわけだが、普段といっても、3年前に戻って

しまったのでは何にもならない。3年間の努力のうえに立った歩みを

続けていかなければならないと思う。今日は新たな歩み出しの日でもある。

どうか、これからも勇んで歩み続けてくださることをお願いしたい。

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