令和6年11月 今月のことば
立冬(11/7)を迎え、暦通りだなと感じていた寒さも、この2、3日は、
とても暖かい日が続いている。
とてもありがたい。この暖かさを、どこかにとって置くことは出来ないだろうか?
さて、私たちは、教祖140年祭に向かう三年千日の歩みを進めている。
教祖にお喜び頂きたいとの思いをもって、日々年祭活動に取り組んでいる。
年祭の日まで、あと一年余り。年が明けると三年目の「仕上げの年」となる。
さて、2年前の10月、諭達のご発布を頂き、それぞれ心を定めた。
その目標に向かっているお互いは、努力を重ね、
これからも尚一層力を入れて頑張りたいと思っている。
教祖は、私たちの成人の歩みをご覧くださり、きっとお喜び下さっていることと思う。
私も、その事を励みに、また、喜びとして更なる歩みを進めて行きたい。
その諭達第4号に
「よふぼくは、進んで教会に足を運び、日頃からひのきしんに励み、
家庭や職場など身近なところから、にをいがけを心掛けよう。」とあります。
先月東京にある都大教会の大祭にご巡教下されたお世話人田中先生のご講話の中に、
次の言葉を引用された。
「一言のにをいがけは、人の運命を変える。それは、
をやの声を聞く時、心の向きが変わるからである。」
教祖100年祭に向かう諭達第3号の中の一節である。
普段、日々地域、また、身近なところでのにをいがけ、
おたすけに力を入れたいと思っている。
それだけに、心に沁みた。
このお道(天理教の教え)は、胸から胸へのおたすけ。
神様がその人を助けたいと思えば、私たち「ようぼく」をお使いくださる。
そして、たすけの歩みが始まっていく。本当にその通りだと思う。
このお話を聞いたあと、こんなエピソードがあった。
先日、近くのスーパーで知り合いの方を見かけた。
普段から、声を掛けおたすけさせて頂きたいと思っている人だった。
最近、自転車に乗って走っている姿を見かけるが、
少し気になるところがある人なので心配している。
スーパーで思い切って声を掛けてみた。
するとこちらに顔を向けて、にっこりとしてくれた。
今度は、もっと話をしたいと考えている。
もう一つ、こんなことがあった。それは、高校の同級生。
一度、おぢばがえりし初席も運んでくれた友達だ。
還暦を迎え、飲み会に誘ってくれた。しかしながら、
お互い忙しく日が合わず、機会がなかった。
申し訳ないなと、思っていた。
先日、朝ゴミを出しに歩道へ出たら、ちょうど目の前にその彼が、
車に乗っているのを発見した。
目があったので、「また、連絡するね」と声をかけたら、
窓を開けて手を挙げて答えてくれた。
何気ない、しかも些細な話だが、お話を聞いて、
力を頂けたので一言声を掛けることが出来た。
おさしづ(天理教原典の一つ)に
「この人ににをいを掛けんならんと思えば、道の辻で会うても掛けてくれ。
これからこれが仕事や。」とある。
経験ないだろうか?
「あの人にこの事を伝えないと」と、思っていると、不思議にもばったり出会うことがある。
この不思議は、きっと神様の思召しなのかも知れない。
話は変わるが、私は里親をしている。
以前この「ニュースレター」で紹介した「ライフ・ストーリー・ワーク」。
これは、養育の過程で必須の作業である。
※ライフ=人生、ストーリー=物語、ワーク=作業、真実(誰から生まれたのか?なぜ、今ここにいるのか?など)を里子の人生に組み入れる作業の事。(生い立ちの整理)
その号で、いわゆる「赤ちゃんポスト」のことについて触れた。
その当事者の彼は、「母親に捨てられた。」と思っていた。
ある年齢になって、担当の児相職員が彼にライフストーリーワークワークを行った。
その作業の中で、見つかった(保護された)時に自分をくるんでいた毛布を彼に見せた。
「赤ちゃんが風邪をひいてはいけないから、お母さんがくるんでくれた毛布だよ」といった。
彼は、それに触れた。その瞬間、今まで捨てられたと思っていた実母に
対する気持ちが一変し、とても愛おしいと思った。
活 動 報 告
事実は変わらない。過去は変わらない。
しかしながら、過去の捉え方を変えることは出来ると思う。
「一言のにをいがけは、人の運命を変える。それは、
をやの声を聞く時、心の向きが変わるからである。」
毛布に触れた瞬間、実母に対する心の向きが変わった。思いが変わった。
まるで目の前に「おかあさん」がいるが如く思えたと想像する。
天理教の教えでは、親神様は私たち人間を創造された主であり、
私たちからすれば、親である。
この教えを伝える事は、親の事を知ること。
また、元の親のお鎮まり下さる「ぢば」人類のふるさとへ足を運ぶこと。
この事を聞いて知ることで、きっと、病気(身上)や、
いろいろな悩み(事情)も解決の方向へ向くに違いない。
心の向きが変わり辛いこと悲しいことも前向きに捉えられるようになるだろう。
元の神、実の神である天理王命様の思し召し、この教えを身近な人や、
教会につながる子どもたちへも伝えなければ、本当に申し訳ないと感じる。
年祭まであと一年余り。親の思いに近づく成人の歩みを更に加速したい。
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