令和6年12月 今月のことば
早いもので、もう師走。今年もあと半月ほどとなった。何かと気がせく。
思い返せば、元旦に発生した能登半島地震から始まり、更に、9月の豪雨災害と続き、
日本にとって、特に能登の方々にとって大変な1年となった。
お互い1年を振り返れば、よかったことや、つらかったことなど、色々あったと思う。
個人的には、今年は年男で還暦を迎えた。
1年どころか60年間を振り返ることも時々あった。
60年間は、あっという間だったと今感じている。
さて、能登の地震についてだが、6月にボランティアに参加することが出来た。
それ以来、なかなか支援に行けずにいた。9月に豪雨災害があり思いは募るばかりだった。やっと今月の10日に日帰りで行ってきた。
早朝3時に須坂を出発し、途中「のと里山空港」で朝食、
珠洲市のボランティアセンターに9時に到着した。このセンターは、
珠洲市から委嘱を受けて天理教の教会がボランティアセンターを開設している。
毎日のようにボランティアの方が訪れていて、途切れた事がないと言う。
半年前の状態からほとんど復旧が進んでいないのが良く分かった。
それどころか、水害の爪痕が生々しく残っている。
建物の解体撤去もしなければならないところだが、
豪雨で荒れた河川の復旧が急務となっている。
今回は、プロの石屋さんを始め7名で勤めた。この石屋さんは天理教の教会の方である。
そんなこともあって、現場は、地震で倒れた墓石の復旧だ。
墓石の復旧となると普通ではなかなか手が出せない。ニーズはかなりあるのだが、
技術と道具が必要だ。あと、墓石はとても重たい。200キロ、300キロの重さがある。
また、通常、墓石のリフォーム等行う時は、お寺さんにお経をあげて頂き
遺骨をうつしてから行うが、災害の為そんなことを言っていられない。
それどころか、お寺自身も倒壊するなど被害に遭っている。
依頼は、3か所で4基の墓を復旧する事だった。現地に行ってみると、
墓石が軒並み倒壊しており、お骨も残っているためブルーシートで覆われている。
お願いされている墓石も倒れ落ちて転がっている有様だ。
実は、天気予報をずっと気にしていた。雨マークがなかなか無くならなかった。
私は、自称「晴男」である。それを信じて現地に向かったのだが、
案の定、虹までかかる晴天で、日差しもあって暖かかった。
重機などはないため、昔ながらの「チェーンブロック」と人力で修復を試みた。
午前から昼過ぎにかけて2か所3基を終えた。
お昼は自前の弁当とボラセンではインスタントラーメンなど用意して頂いていた。
日没も早いので、食べ終わり次第最後の現場に向かった。
午後になると少し日が陰り、お天気も怪しくなってきた。
晴男のご利益も切れてきたらしい。雨が降り出す前に立ててしまおうと一同頑張った。
何とか立て終わったが、仕上げとして、墓石と石との間の目地に防水と見た目の為の
コーキング処理をする必要がある。その時点で雨が降り出した。しかしながら、
このまま帰る訳にはいかない。シートを屋根代わりにして作業を続け、
17時ごろに作業は無事終了した。既にあたりは真っ暗だ。
その後、近くの銭湯で汗を流してから帰路に着いた。須坂に0時に着いた。
いつも感じることは、ボランティアというのは心が勇む。何かわからん力がみなぎってくる。笑顔になれる。みんなが一丸となって協力する姿。本当に素晴らしい。
これぞ「陽気ぐらし」だと感じる。
今年も振り返れば、自分の周りには大小さまざまなことが起きたのは間違いない。
そのひとつひとつを思案すれば神様の親心を感じることが多々ある。
特に喜べない時(ふし)は、その時は乗り越えるのに精一杯だが、
振り返ればそれも御守護だったんだ、と感じる。
年が明ければ、教祖140年祭に向かう三年千日の仕上げの年となる。
たすける旬、たすかる旬。神様がお連れ通り下さる。
能登地方の一日も早い復旧復興を毎日祈り続けたい。
今年一年のご守護に感謝して、来る年もお互い良い年となるよう祈っている。
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