令和7年1月 今月のことば

新年あけましておめでとうございます。

昨年中は、道のご用の上に、また、当教会の上にご丹精賜り誠にありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願い致します。


真柱様の新年あいさつを掲載させて頂く。


「明けましておめでとうございます。

旧年中は、教祖年祭に向かって、たすけ一条の御用のうえにお励みくださり、

誠にありがとうございました。

三年千日と仕切った年祭活動は今年、三年目を迎えました。

親神様は、周囲にお見せくださるさまざまな出来事を通して、

私たちの心の成人を促しておられます。

その親心に思いを致しつつ、教祖の思召(おぼしめし)に心を寄せ、

多くの道の子が年祭へ向けての残りの期間を、一手一つに、

悔いのないよう働かせてもらいましょう。そして、年祭の当日には、

一人ひとりの成人した姿を教祖にご覧いただき、お喜びいただきたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

立教一八八年元旦 真柱 中山善司」


今年は、教祖140年祭に向けての三年千日の3年目、仕上げの年である。

来年(令和8年)1月26日には、「教祖140年祭」が執行される。

年祭に向けてあと1年。をやの思いにお応えするべく、

それぞれ掲げ定めた目標に向かって仕上げの歩みを進めてほしい。

さて、年が明けて4日の午前中、おぢばで「鏡開き」がつとめられた。

これは、毎年恒例の年初めの行事である。今回もそのひのきしんを勤めさせて頂いた。

元旦祭に供えられた大きな餅を切餅サイズにまで切り分ける作業である。

作業にかかる前に支度を整える。かっぽう着を着て、白足袋を履く。

そして、左の肩には役柄を示す札を安全ピンでとめる。札は、「大、中、小、運搬」等。

昨年に引き続き、「大切り」の役を仰せつかった。

これは、餅を4等分に切り分ける作業を4人で勤める。

2人がいわゆるギロチンの様な大きな刃物の柄を持ち、

あとの2人は台を押さえたり、餅を乗せたり下ろしたりする。

1週間ほど御供された餅は、かなり固くなっている。

また、直径で40センチから大きいものは70、80センチくらいある。

「歯が立たない」ではなく、「刃」が立たないという感じ。刃が餅に食い込まない。

ちょっとでも入るとズバズバと切れて行く。

柄を持った2人で、足が浮くほど体重を掛けないと切れない。

この作業を延々と2時間。いささかしんどい作業だ。

切った餅は、一輪車に乗せて中切りへ。中切りでは、延べ棒のように切り分け、小切りへ。

小切りで仕上げのサイズに切り分ける。

餅切りの器具は、全部オリジナル。午前8時に集合して、解散したのが12時30分だった。

毎年、作業を開始する前に内統領(うちとうりょう)の宮森与一郎先生からの挨拶がある。コロナ禍の時の挨拶は、「残念ながら今年は『おせち』を開催することが出来ません」。

この挨拶が、続いていた。それが、今年は、

「大勢の方に喜んでいただけるよう持ち場立場でお願いしたい。」との挨拶。

新年のひとつの楽しみとして、おぢばに帰ってこられる大勢の方々に

美味しい餅を召し上がって頂きたい。そんな嬉しさ、喜びが沸き上がった。

おやさまは、

「この家へやって来る者に、喜ばさずには一人もかえされん。親のたあ(田=とっては)には、世界中の人間は皆子供である。」 (教祖伝第3章みちすがらより)

おやさまの思召に心を寄せながら餅切りをした。

年の初めに勇ませて頂くことが出来たことに、感謝である。

今年一年、お互い良い年になるよう心掛け、真柱様のお言葉の通り、

「年祭へ向けての残りの期間を、一手一つに、悔いのないよう働かせてもらいましょう。」

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