令和7年3月 今月のことば
天理教では、神様の教えを伝え広める事を、横(地域など)への「布教」、
縦(親から子、孫へなど)の「伝道」という。
その縦の伝道、特に「少年会員」(生まれてから中学校卒業までの年代を指す)の
育成について携わっている「天理教少年会」の育成担当者を中心とした講習会で、
天理教真柱よりお言葉があった。(一部抜粋)
「教祖のお望みは、この世と人間をお創りくださった親神様が思召される、
陽気ぐらしの世の中をつくり上げることであります。そのために教祖は、
たすけ一条のひながたの道を付けられて、陽気ぐらしの教えを示され、
天保九年以来いまも変わらず、私たち人間を子供かわいい親心いっぱいに
お育てくださり、お導きくださるのであります。」(中略)
「天理教少年会の使命は、縦の伝道にあります。縦の伝道は、親や教会の人など、
子供を育成する身近な大人が、自分の体験から得た信仰の喜びを子供に伝え、
さらに、子供たちが伝えられた喜びを素直に受け継ぐことができるまで、
必要に応じて、修理や肥を施して、将来立派なよふぼくに育つための基礎を築いていく。
これが、少年会員を育てる皆さんのつとめであります。」(中略)
「食事、洗面、入浴など、私たちが普段当たり前に行っている生活習慣は、
親や身近に居てくれる大人からしつけてもらったことであります。それと同じように、
神様の前で手を合わせることや、朝起き、正直、働き、ひのきしんなど、
小さい子供にも分かりやすい教えも、日常生活の中での実践を通して
教えられてきたのであります。そうした大人の心がけが、子供たちが教えを
身につけていくためにはとても大切であります。」
(中略) 「お道の人としての人格は、ひながたを素直にたどることで
つくり上げられていきます。そして、そのひながたをたどるということは、
先に道を歩く私たち大人が態度で示さなければ、子供には伝わらないのであります。」(中略)
「思案すると、教祖がこの道を歩き始められたとき、親神様のことを知る人は、
誰一人として無かったのですから、教祖の目からご覧になると、当時の人は、
みんな、生まれたばかりの赤児のようなものであったでしょう。そのようななかで、
教祖が親神様の思召を分からせるために取られた方法は、思召をご自身の
身で示されることでした。しかもそれは、一度や二度のことではなく、
五十年もの歳月を費やされて、繰り返し繰り返し示し教えられたのであります。」(中略)
「教祖のひながたは、すべて、どうとしてでも教えの道を真っすぐに
つながなければならないという、教祖の固いご信念とも言える親心の現れと
拝察させていただくのであります。」(中略)
「子供の育成を心がけることは、自分を育てることにつながります。
子供たちと関わるときだけでなく、現れてくる事柄の中に、ひながたにこもる思召を
悟る努力を忘れないでいただきたいと思います。その努力が、その時その時の子供たちの
様子に見合った育成のうえに実るという、ご守護をお見せいただけると思うのであります。」
(中略) 「少年会で育った子供たちが、これから味わうであろう人生の試練にも耐えて、
節から芽を出す喜びを感じながら節目のたびごとに立派に成長していく姿は、
私たちみんなの願いであります。」
私たちは、子どもを育てる時「しつけ」を意識します。
「生活習慣を身に付け、一人前の大人として社会で生きるための作法や考えを教える」など、意識しながら、子育てをします。我々お道の人間は、生活習慣や、
社会性を身に着ける事と合わせて、教祖のひながたを伝えて行くという事が
大事だという事です。
その為には、子どもたちよりも先を歩き、また、子どもたちの身近な見本となる大人は、
自ら育つ努力をしなければならない。つまり、お見せいただく事柄に対して、
神一条(教祖だったらどのようにされるのであろう。
また、教祖の思召しはどこにあるのだろう)の精神で事に当たり努力を重ねること。
その大人の姿、態度が子どもたちに伝わることになる。前述の
「お道の人としての人格は、ひながたを素直にたどることでつくり上げられていきます。」
このお言葉に込められた真柱様の思いがひしひしと伝わってきます。
「教祖お一人から始まったこの道を、先人はひながたを心の頼りとして懸命に通り、
私たちへとつないで下さった。」と諭達にあります。
教祖140年祭に向かう三年千日、三年目の仕上げの年は、
この志を忘れずに懸命に通ることを改めて肝に銘じて、教祖の思し召しに
少しでも近づけるよう努力したい。
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