令和7年5月 今月のことば
3月後半から4月前半の約20日間、「おぢば」(奈良県天理市の天理教教会本部)
の詰所で「教養掛」としてつとめた。
天理教では、「修養科」と言う3か月間の修養生活を送る課程がある。
天理教HPでは、
「修養科では、老若男女、立場も地位も違う人々が、
教祖のお膝元おぢばで3カ月間の修養生活を送ります。
満17歳以上であれば、誰でも入ることができるため、
年齢や経歴、立場や国籍などは、実に千差万別です。
そして、修養科を志願する動機もさまざまです。
そういった人々が、寝食を共にし、教理を学び、
互いにたすけ合って心の修養に励みます。教えを実践する中で、
「陽気ぐらしを実践できるようぼくに成人する」ことを目指します。」
と説明している。
「寝食を共にし」とあるが、その生活の場となる所が「詰所」である。
修養科生のみならず、おぢばに帰参した信者などが宿泊したり
食事を摂ったりすることが出来る修養施設である。
この「詰所」で修養科生と寝食を共にし、共に学び、
「ひのきしん」を勤めるのが「教養掛」である。
この「教養掛」として、この度勤めさせて頂いた。
今回の修養科生は、20代後半の男性だった。
彼は、教会生まれの教会育ちで、教会長の後継予定者だ。
彼は、とても前向きで自ら志願してきた。
それだけに、求めることもとても積極的だ。
私も必死にならざるを得ない。彼は、時間を見つけては
「ひのきしん」に励み、「おてふり」を練習している。
最近は、ユーチューブ(YouTube)に「おてふり」がアップされていて、
それを見ながら、練習していた。しかしながら、この「おてふり」が、なかなか難しい。
「おてふり」とは、おやさま(教祖中山みき様)が、
書かれた「おつとめ」の地歌である「みかぐらうた」にあわせてつけられた踊りである。
そこに更に鳴り物を入れて行うのが天理教の「おつとめ」である。
「みかぐらうた」は、御教えについて書かれた和歌調の歌である。
覚えるだけでも大変である。その上、それに合わせた手振りである
「おてふり」を習得するには、時間がかかる。
私は、教会長であるから、この「おてふり」ももちろん出来る。
しかしながら、自分の癖などがあり、細かいところで分からないところ、
確認したいところが多々あった。お陰様で修養科生と
共に勉強させて頂くことで確認が出来た。
修養会生と共に詰所で勉強する時間のことを「修練」と呼んでいる。
この「修練」を行っているときに感じたことがあった。
それは、「みかぐらうた」や「おてふり」を教えてくださった教祖(おやさま)は
すごいなということだ。この「おつとめ」だけでなく、
50年のひながたが現在に至るまで、寸分違わず伝わっている。
この事実を考えた時、教祖のご苦労は並大抵なことではなかった。
録音もビデオもない時代なのに、である。信じられない。
「修練」で教養掛としてこの教えて頂いたとおりに修養科生に教えていく。
これは、教祖が教えてくださったものだと思えば思うほど、尊く感じられた。
諭達に、「教祖お一人から始まったこの道を、先人はひながたを心の頼りとして
懸命に通り、私たちへとつないで下さった。その信仰を受け継ぎ、
親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、
末代へと続く道となるのである。」とある。教祖の思召しを、
これから100年、200年先であっても変わることのないように
伝えていかなければならない。
教祖が教えてくださったひとつひとつにどんな思いがあるのかを、
改めて考え、深めて行きたいと思う。この度、これほどに充実した機会を
与えて下さったことを神様に感謝したい。
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