令和7年9月 今月のことば
文:倉石 信吾
「トイレ集合!まだ、ひのきしんしてないやろ?」
先月の25日26日に月次祭に参拝のため、おぢば帰りをしました。
25日の夕方、学担の例会終わりに、神殿で友人と会う約束をしていました。
少し早く着いたので参拝をし、連絡すると冒頭の返事がきました。
その時ふと、「そういえば、今日はまだひのきしんをしていなかったな」と気づきました。
思い返せば、自ら進んでひのきしんすることが、最近減ったような気がします。
信仰心がないわけでは決してないのですが、日々の忙しさに追われて、
「今度でいいか」と、後回しにしてしまうことが多かったように思います。
けれども、その日は誘われるがまま、トイレ掃除のひのきしんを友人と二人でしました。
始める前は「せっかくだし」くらいの軽い気持ちだったのに、体を動かすうちに、
だんだん心が晴れていき、不思議と清々しい気持ちになっていました。
ほんのわずかな時間でしたが、ひのきしんをさせていただくと、
こんなにも心が軽くなるのかと改めて感じました。
そして同時に、「今度でいいか」と後回しにするまでもなく、
心さえあればいつでもどこでもできるのが、ひのきしんなのだと
思い出すことができました。特別な時間や場所を待たなくても、
目の前の小さなことに感謝を込めて取り組むことこそが大事ですね。
ひのきしんの心とは、神様から体をお借りして生かされていることへの
「報恩感謝」の思いを、具体的な行動に表すものです。草ひきや掃除などはもちろん、
日常の小さな心配りや助け合いも、すべてがひのきしんになります。しかし、
ただ形だけの行いでは、本当のひのきしんにはなりません。そこに
「ありがとうございます」という気持ちが込められてこそ、神様に通じる行いになるのです。
そして、この「報恩感謝」の思いを日々の暮らしの中で続けていくことが、
そのまま「にをいがけ」にもつながっていくのではないでしょうか。
人に優しく声をかける、笑顔で接する、相手を思いやる。
そうした日常のひとコマが周りの人の心を和らげ、いい「にをい」を漂わせていくのです。
9月は「全教会布教推進月間」です。にをいがけは、
決して特別なことではなく、日々の感謝やひのきしんの積み重ねの
延長にあるのかもしれません。一人ひとりが感謝の気持ちを忘れずに暮らし、
笑顔と自然体で接することが、にをいがけの実践の一つになるのではないでしょうか。
先月、「トイレ集合!」と声をかけてくれた友人の一言も、
今思えば「にをいがけ」だったのだと思います。僕もその友人に
「にをい」をかけてもらったのだと感じています。僕自身もふとした時に
「にをい」をかけられるように日々の中で感謝を忘れず、
実践を積み重ねていきたいと思います。感謝の心があれば自然と行動が伴い、
その行動が人に伝わることで周りの心を動かしていく。
おぢば帰りの小さな気づきから、改めてその大切さを感じさせていただきました。
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